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ブログ−2014年

建築業界見晴台…「この一年を振り返る」        2014年12月26日(金)

 今年は建築工事費の急謄が一番のニュースです。昨年の政府の方針によってインフレ政策が決められ、消費税増税が実施されたのですが結果として建築工事費は3年前から比べてRC造/S造系一般建築工事費が3〜5割、木造系一般住宅が1割前後上昇している感じです。国内価格は消費税増税が実施された4月1日を境にして一斉に値上されたのですが、この際かなりの便乗値上の横行が蔓延したのは周知の通りです。消費税増税分3%値上がりするのはともかく便乗値上に消費者は納得できません。
 建築工事費については消費税駆込み需要の喚起・公共工事の大量発注・震災復興工事・オリンッピク工事・リニア新幹線工事等が重なり、職人不足を増長させた為一気に価格高騰をもたらしました。消費税3%上昇分の影響の比ではありません。この影響で一般建築の需要は急速に冷え込んでしまいました。収入環境が変わらず建築費だけが高騰したのですから当然の流れです。業界では職人不足・材料費上昇で当面は仕方ないと言われています。果たして発注者側から見て納得されるでしょうか。
 1980年代の官制バブルを思い出してください。実態経済とは関係なくバブルが増長され日本経済と国民全体が振り回され大混乱が生じました。結果日本経済の失われた20年(30年?)と言う悲惨な付けからなかなか抜け出せません。今回のアベノミクスも実態経済を無視しているのは一緒ですから、この先恐ろしい結果が待ち構えていそうです。1000兆円の借金をつくったのは一体誰でしょうか?権限があっても責任を取ることは全くないのでしょうか?失敗の責任を国民が負うのは不合理です。 
 この先々他の諸物価を無視した今の建築工事費がいつまで通用するのでしょうか?大きな不安を感じます。一般建築工事発注が低調の中、今は増税対策で前倒し発注の設備投資絡みの工事・公共工事・震災復興工事等で繁忙なのですが、それもいつまで続けられるのでしょうか?また輸出頼みの製造業の復調にいつまでも依存できるのでしょうか?国富を無駄使いし続け国民へ付け回しをする政策が今後も続くのでしょうか?自ら血を流す大構造変革が今ほど国に求められるときはありません。

賃貸住宅見晴台…「前年比増続く賃貸住宅着工」   2014年12月12日(金)

 いよいよ相続税増税が2015年1月1日より始まります。基礎控除の非課税枠が4割も減らされ今まで相続税に無縁だった人々もこれからは相続税の納税負担者となるケースが確実に増えてきます。節税対策として生前贈与が効果的であることは衆知のとおりですが、賃貸住宅建設により相続時の課税評価を下げまた借入金によって相続財産の評価減を図る方法も効果があります。賃貸住宅入居者の借地権等で資産評価が差し引かれたり建設のための借入金が負の相続資産として算定されるからです。
 相続税強化の舞台裏では生前贈与による高齢者から若い世代への資産シフトがさらにし易くなるようにと政府の税制が変化してきています。最近になって既にある住宅取得費・教育費の贈与税の免除に続き結婚・子育て費用も一定の条件で非課税にするとの報道もありました。さらにもう一つの方法として相続時資産評価を下げる従来よりある方法が賃貸住宅建設なのです。この節税法は昔から世間で知られているためか昨年より戸建住宅の着工減少を尻目に賃貸住宅の着工が増加しています。
 一方その反面、国内住宅総数は6063万戸この内13.5%の820万戸が空き家(2013年10月時点)となっている現実があります。この中には相当数の賃貸住宅も含まれており賃貸住宅市場の物件供給過剰問題が社会問題にもなっています。さらに投資マネーの流入も拍車をかけています。現実に賃貸住宅を作っても入居者が埋まらないと言う困難に直面しているオーナーさんのお話もよくお聞きします。入居者が埋まらない賃貸住宅を作っては相続税対策どころか自己資産消滅に陥る可能性もあります。
 これだけ多くの賃貸住宅が空き家になっている現実を知り建設時に安易な気持ちで行動しないようにしなければなりません。全部あなた任せの賃貸住宅量産業者に任せたり、長期の入居保証・家賃保証に依存したりするのは極めて危険なリスクが多く潜んでいるので充分ご注意ください。賃貸住宅/住宅建設への優遇制度は昔から政府の景気浮揚策の一つとして使われています。成功するのも失敗するのもあくまで自己責任なのでどうなろうと決して政府が責任を取ってくれる訳ではありません。

建築業界見晴台…「消費税増税延期と円安の影響」  ’14年11月28日(金)

 4月以降の種々の経済指標の悪化により、11月19日に消費税10%増税が一年半延期され2017年4月からと決まりました。やはり巷で推測されていた通りになりました。おまけにこの時期に何を血迷ったのか衆議院の解散総選挙に打って出ました。世間では大義名分・争点のない国費700億円を浪費する無駄な選挙と言われています。客観的にとらえれば安倍内閣の延命選挙と言われているのも納得できます。今の政治に納得していない有権者の受け皿がまったくない選挙に意味があるのでしょうか?
 傍らで円安の勢いが止まりません。円安の続伸で輸出産業が潤い国内景気が良くなると言っていたのも裏目に出ました。景気が良くなるどころか円安による消費者物価上昇と消費税8%増税のダブルパンチで庶民の財布の紐は一段と締まっています。富裕層はあまり影響がないのかも知れませんがGDPの6割を占める国内消費を支えているのは人数の多い一般庶民の購買力です。赤字国債を乱発する無責任政府と違い庶民は賃金上昇がないまま生活物価のみが上昇すれば倹約するのは必然です。
 せめてもの救いは原油価格の値下がり傾向です。1バーレル100$〜110$もしていた原油価格が70$位まで低下してきました。資源価格の安定・下落と共にガソリン等の燃料価格の下落が鮮明です。追っ付け電気料金・ガス料金等にも影響が出てくるはずです。世界経済の減速とシェールオイルの登場それに省エネ社会到来が要因であるようです。地球温暖化を止めるためにも化石燃料の消費は抑制した方が人類のためにもなります。政策による物価上昇に苦しむ庶民には救いの神と言えます。
 さて建築業界の状況は一部職種の職人を除き、逼迫した職人不足に変化なし。建設労働者がピークの約三割減少となっていますが、国内土建市場がピーク80兆円が今は約40兆円に半減、建設労働者もこれに伴い約三割減少したのですから職人不足になるのが不思議?…たぶん平均して三割減ではなくキツイ職種が多く減少したのでは。消費税増税延期は職人不足の緩和になり、円安傾向は建築資材価格の上昇となり需要の減少に繋がります。一長一短があり建築業界のこの先は良く見通せません。

久里屋設計界隈散策−その68 日泰寺奉安塔 '14年11月14日(金)

泰安塔入口を見る
日泰寺奉安塔…千種区城山新町地内
 日泰寺奉安塔は当社から西々南へ約4kmの千種区城山新町地内に位置しています。落成したのは大正7年(1918年)とのことで、県道名古屋関田線(姫池通)を挟んだ放生池跡の東側にあります。姫池通で分断されるまではこの辺りは日暹寺の庭園であったそうです。奉安塔は日泰寺の姫ケ池通一丁目交差点の北東角にあり、またすぐ西隣には日泰寺霊堂が建てられています。またそのすぐ北には栄町通り武平町筋から移築された日清戦争戦死者を祀る日清戦役記念碑もあります。奉安塔とは釈尊の舎利を納めた塔のことであり、ガンダーラ式の花崗岩製の石造となっています。
山門の奥に奉安塔がある
奉安塔山門…奉安塔手前にある
 シャム(現在のタイ国)国王から贈られた釈迦の舎利が京都本願寺より明治37年(1904年)11月に日暹寺(現日泰寺)に移され安置されているとのこと。明治31年(1898年)英領インドのピプラーワ(Piprahwa)でルンビニエンの西南20kmの小丘を発掘していたイギリス人(William C Peppe)が一つの人骨を納めた蝋石の壺を発見、刻文で釈尊の舎利であることが判明。これを当時のシャム国のチュラロンコン国王(King Chulalonkom)がその一部を仏教国日本へ贈られ、明治37年(1904年)11月に日暹寺(現日泰寺)が建立されたとのこと。その舎利を安置してあるのが奉安塔なのです。

久里屋設計界隈散策−その67 放生池         2014年10月31日(金)

放生池を南東から見る
放生池             ……千種区田代町字姫ケ池上地内
 放生池(ほうじょういけ)は当社から西々南へ約3.7kmの千種区田代町字姫ケ池上地内に位置しています。放生池と言っても今は埋め立てられて水もなく砂利敷きの駐車場になっていますので、昔ここに池があったなんて知らない人には不思議に思われている方もおありでしょう。その昔、子供の頃にここに確かに池があったのを覚えていますが、たまに釣り人が糸を垂れている姿を見かけました。昭和に入ってから姫池通が開通して以来年々この池は狭められ、ついに昭和58年(1983年)に完全に埋め立てられ現在の姿になってしまいました。子供の頃からずっとつい最近まで、当時から他に池が見当たらなかったのでこの池がてっきり姫ケ池だとばかり思っていました。
放生池の南東角に立つ石碑
放生池石碑           ……ここに池があったことが判る
  石碑には「放生池 殺生禁止 覚王山」と書いてあります。もともと放生池の南に姫ノ池と言う池がありその北に字姫ノ池上/南に同下と言う字名がありました。現在の姫池通になっている辺りだそうです。また姫ノ池の北には西どろあき池・東どろあき池の二つの池があったそうで、その西どろあき池(幕末には西源蔵池とよばれていたとのこと)が現在の放生池だそうです。明治時代になって池の南西に日暹寺(にっせんじ…現日泰寺)が建立されると放生池として多数の鯉や亀が放流されたとのことです。即ち、地名のもとになったのは姫ノ池でその場所は松坂屋ストアの前辺りであったとのことです。世間で誤解されているかも知れない放生池が姫ケ池ではないのです。

久里屋設計界隈散策−その66 四観音道の道標   2014年10月17日(金)

道標のある辻を北東方向より見る
四観音道の道標         ……千種区下方町七丁目地内
 四観音道の道標は千種区下方町七丁目地内にあり、当社からは西々南へ約3.8kmの位置にあります。民家の片隅の道路沿いのT字三叉路の辻にある桜の木の足元にあり良く探さないと見落としそうです。県道関田名古屋線から西へ入ってすぐのところ、水道局東山配水場の北側にあります。江戸時代の道標と言われているようでかなり傷んでいそうです。千種区内にはもう一基地蔵弘法堂内の石仏に道標を示すものがあります。四観音とは尾張四観音のことで荒子観音・甚目寺観音・龍泉寺観音・笠寺観音の四つのことを言います。この辺では昔龍泉寺観音と笠寺観音を結ぶ道を四観音道と呼んでいたそうで、昔はこう言った道標が尾張の街道筋ではよく見られたそうです。
道標を南東方向より見る
石製の道標…民家の一角にある
 道標には“東 やごと ひらばり、西 あらこ、南 あつた かさでら、北 せと りゅうせんじ”と刻まれているのがよく判ります。この南北に連なる道が龍泉寺観音と笠寺観音を繋いでいます。またこの道標の東西に抜ける道が焙烙(ほうろく)街道と呼ばれており、人通りがきわめて少ない道であったそうです。即ちこの道標のある位置がちょうど四観音道と焙烙街道の交差点になっている訳です。昔、三河の伊保の方から焙烙という陶器(素焼きの平たい土鍋)をこの道を通って名古屋まで運んで売り歩いたのでこの名で呼ばれたと言う説もあります。尾張四観音とは昔、徳川家康が名古屋城築城に際し、城から鬼門の方角に城鎮護の目的で定めたことが由来であるとのこと。

久里屋設計界隈散策-その65 猪高村役場跡碑    2014年10月3日(金)      

道路右手の植え込みの中にある
猪高村役場跡碑         ……名東区藤森一丁目地内
 猪高村役場跡碑は市道上社第187号線にあります。名東区のホームページに案内がありましたので、行って見るとどこにあるのかとても分かりづらいので探すのに一苦労しました。それは猪高小学校の東側の名東区藤森一丁目地内の車道と歩道の間の植栽帯の中にさり気なくありました。たぶんこの道路を利用していても気づかず通過している人々もきっと多いのだと思います。それくらい気づきにくい状態で植え込みの中に佇んでいます。地下鉄上社駅から北へ約420m、今の名東区役所から西西北へ約380mに位置しています。その昔ここに猪高村役場が建っていて、村の中心がこの辺りであったと言うことなのです。
昭和30年4月5日名古屋市合併とある
碑文の拡大写真         ……御影石の彫り込み文字
 名東区は昭和50年(1975年)2月1日に千種区から独立し誕生した区です。名東区の殆どがもともと旧猪高村でしたので千種区の一部として昭和30年4月5日に名古屋市に合併された折、名東区の住所には当初は「名東区猪高町大字○○」と言う地名が付いていました。区画整理も終わりその後町名変更が行われたので、今の名東区内に猪高町と言う地名が残っているのは緑地のみとなりました。そもそも旧猪高村と言うのは明治39年(1906年)に当時の愛知郡内にあった「猪子石村」と「高社村」が合併して「猪高村」が誕生したのがルーツなのです。その猪高村の役場がこの現在の名東区丁田町32番地付近に建っていたのです。

久里屋設計界隈散策−その64 イチョウ並木の銀杏   2014年9月19日(金)

歩道に植えられているイチョウの木
イチョウの街路樹        ……名東区香流一丁目地内
 例年お彼岸までは残暑が厳しく9月上旬はまだまだ暑い年が多いのですが、今年は9月に入ってからはそんなに残暑も厳しくなくなりめっきり涼しくなりました。やかましかった蝉の声も聴かなくなり街は静かになりました。事務所周辺の街路樹に結構イチョウが使われております。落葉樹であるためこれから街路では黄葉がきれいな時期ですし、その後は黄色いじゅうたんで路面一面が覆われます。今年も地域の皆さんがまた落ち葉掃除で忙しくなりそうです。事務所前のバス通りにも道路北側の歩道にはイチョウ並木があります。まだ黄葉はしていませんが既に銀杏がびっしり生っています。事務所の前の一本のイチョウの木はこの辺ではひときわ大きな銀杏がなります。
イチョウに生る鈴生りの銀杏
完熟を待つ銀杏         ……事務所前のイチョウの木
 イチョウは裸子植物の一種で裸子植物門イチョウ網の中で唯一の現存している種であり、そのため生きた化石と呼ばれているそうです。中国原産の落葉高木で人為的な移植により現在は世界中に分布。お寺の境内・公園・街路等でよく見かけるポピュラーでお馴染みの木です。名古屋市内では桜通に特に大きなイチョウの街路樹があります。桜通なのに何故イチョウ?と思われる方がいるかも知れませんが、昔は桜並木だったのが排気ガス等で枯れてしまい代わりに排気ガスに強いイチョウが植えられたと言う経緯があるのです。イチョウの種子と言えば銀杏ですが茶碗蒸しなどの料理にも使われおいしい食材ですので、落ち葉掃除の前に銀杏拾いの人々をよく見かけます。

久里屋設計界隈散策−その63 小幡駅          2014年9月5日(金)

左手がアクロス小幡、右手が小幡駅
小幡駅…守山区小幡一丁目地内
 小幡駅は当社から北北西へ約2kmの守山区小幡一丁目地内にあります。瀬戸街道(県道名古屋多治見線)に面して南側に建っており、守山区役所が北へ約300m行ったところにあります。西隣に瓢箪山駅、東隣に北山駅があります。瀬戸線開業とともに明治38年(1905年)に開設された駅で、今の駅舎は四代目になります。上り下りとも1時間に8本くらいの本数で電車が走っており急行や準急も止まる駅となっています。駅自体は地上部にはなく線路上空の渡り部分にあり、改札口や駅事務所等もそこにあるのでちょっと変わった感じの駅です。アクロス小幡が駅前広場東側に、分譲マンションの入っているアクロス西館が駅前広場西側にあり、瀬戸街道の真ん前にあります。
アクロス小幡二階より広場を見下ろす
小幡駅前交通広場…小幡駅前にある
 広場にはバス乗降場の他にタクシー乗り場・駐輪場等があります。小幡駅の1日乗車客は近年5千数百人で推移しているそうですが名鉄瀬戸線の駅では20駅中4位の乗車客であるとのことです。昭和53年(1978年)より駅前一帯約1.2haが名古屋市主導により地区ごと再開発され始め、平成11年(1999年)に今の建物に建替えられた比較的新しい駅舎です。周りにはアクロス小幡・アクロス小幡パーキング・アクロス小幡西館があります。アクロス小幡は3階に守山文化小劇場、2階に名古屋市社会福祉協議会が入っており他はテナントスペースとして色々な施設が入居。アクロス小幡西館は1階がテナントスペースで2階以上に名古屋市住宅供給公社が分譲したマンションがあります。

建築業界見晴台…「思い出されるバブル崩壊前夜」   2014年8月22日(金)

 巷では“どこが景気が良いのか?全く理解できない”と言う声が殆ど共通の意見です。可処分所得が目減りして行く中、生活必需品の消費税増税に伴う便乗値上と円安による実質値上のダブルパンチにより生活が苦しくなった人々が目立って増えています。しかし生活必需品等は生活が苦しくなったからと言って、日常的に必要なものを買わないと言う訳には行きません。そのような食料品・日用品などの消費者データを抽出して、政府がそんなに景気は悪くないなどと言うのは愚の骨頂です。
 株価上昇・一部の輸出型製造業の業況改善・優良大企業業況改善とか日本経済の局部的な側面のみ誇張して今マスコミで報じられています。しかし日本全体で見れば決して景気が良くなっているとは誰も思っていません。しかもNISA制度による個人資産や126兆円年金資金等まで投入してなりふり構わぬ人為的な株価吊り上げ操作を図ったり統計マジックを使って好景気ムードを演出したり、あらゆる手管を使い国民や世界の目をごまかし続けています。今ふとあのバブル経済の記憶が過ります。
 1993年(実際には1991年崩壊)に表面化した先のバブル崩壊から続いている失われた20年(30年?)の景気の谷から今一瞬アベノミクスで景気が上昇したかのように思えますがこの状態いつまで持続できるのでしょうか。最近ごまかし切れない真実が色々なところで表面化し始めてきました。今水面下に隠されている真実の全体が表面化するのは時間の問題だと思います。少子高齢化社会になってしまった日本では過去の経験則による政策手法はもはや通用せずもっとまともな抜本的政策が必要です。
 先のバブル経済は日本国民全体が大なり小なりその恩恵と影響を受けていました。その為意外に長くバブルが顕在化していました。しかし今回のアベノミクス経済下ではごく一部の企業と国民のみがバブルを享受しているだけだと言うのが先回との決定的違いで、共通しているのは実態を伴わぬバブル経済だと言うことだけです。そのようなアベノミクスは持続性も弱く早晩崩壊することでしょうしまた泣きを見るのも先回と異なり踊っているごく一部の企業と国民に限定されることでしょう。

久里屋設計界隈散策−その62 名東区内の蝉について  2014年8月8日(金)

アブラゼミ
樹木に止まるアブラゼミ
 子供達はどこへ消えてしまったのでしょうか。今は街で蝉取りをする子供を殆ど見かけません。私達は子供の頃夏休みは虫かごをぶら下げ蝉取りをしてよく遊んだものでした。真夏の暑い盛りですので炎天下を夢中になって街路樹や木々などをめぐり熱中症になりかかったこともしばしばでした。名古屋市内にいた蝉はニイニイゼミ・アブラゼミ・クマゼミ・ツクツクボウシの四種類だけでした。採取方法は補虫網かトリモチでしたが、最も捕獲し易いのはもちろんトリモチでした。ただし捕獲後の始末はトリモチがついていない網のほう方が扱い易く優れていました。昆虫標本を作るためなら補虫網で採集する方が蝉がきれいな状態で捕獲できますのでこれに限ります。
クマゼミ
樹木に止まるクマゼミ
 名東区内では朝早くからクマゼミが元気に鳴いていて、近年クマゼミの数が異様に増えている気がします。昔名古屋市内で見かけたのはニイニイゼミ・アブラゼミが殆どでたまにクマゼミに遭遇するくらいでこれは極めて稀なことでした。クマゼミはツクツクボウシと同様に羽が透明なので捕獲すると子供心にわくわくしたものでした。ツクツクボウシはもちろん夏の終わりを告げるため、他の蝉があまり鳴かなくなる夏も終わりの頃しか現れません。しかし会社周辺の名東区内では近年クマゼミの個体数が異様に増えてきており珍しくもなくなってきているのです。これは都市の温暖化がクマゼミ繁殖にプラスの影響をしてきているのだと言う説を聞いたことがあります。

久里屋設計界隈散策−その61 千種公園        2014年7月25日(金)

東側公園入口を見る
千種公園…千種区若水二丁目地内
 千種公園は当社から西へ4.5kmくらい離れた千種区若水二丁目地内にあります。公園の東には市営住宅仲田荘があり、東南には県立聾学校があります。すぐ南にある名古屋市東部医療センターとこの公園一帯は戦時中旧陸軍造兵廠千種機器製作所があったところだそうで昭和20年の米軍の爆撃で壊滅的被害を受けたとのこと。戦後その跡地に公園や市民病院が建てられた経緯であるとのこと。その際歴史を留めるためにその時壊された外塀を記念に残してあるとのことです。
残されている空襲の爪痕
空襲を受けた旧造兵廠の外塀
 野球場・庭球場・グラウンド・遊具・土木事務所分署建物・交番・公衆便所等があり、公園内にはユリ園が設けられ毎年10000球ものユリが5月下旬から6月上旬にかけて花を咲かせるとのことです。公園の南西の方に空襲を受け弾痕の残された外塀が解説付きで保存されています。平和な公園の一角に残されていますので昔の傷跡が痛々しく感じられます。そのすぐ近くに杉戸清市長直筆の石碑も建っています。南接する東部医療センターでは現在建替え工事が行われています。

久里屋設計界隈散策−その60 地下鉄一社駅     2014年7月11日(金)

一社駅南舎を交差点北西から見る
一社駅南舎…名東区上社二丁目地内
 地下鉄一社駅は当社からほぼ南へ約2km離れた名東区高社一〜二丁目と一社一〜二丁目の間に位置しています。南北二つの改札口は其々一社交差点角にあります。県道名古屋長久手線(東山通)に面しており駅北舎は通の北側、駅南舎は通の南側に対面して建っています。この東へ行くと上社ジャンクション〜名古屋インターチェンジを通って長久手市方面へ抜けています。西側へ行くと星ヶ丘方面に通じています。駅周辺にはコンビニ・銀行・書店・ドラッグストア等の店舗がありますので駅らしさを感じますがさほど大きな駅舎ではありません。またここから東側藤が丘駅までは線路が地上へ上がって高架部を走っており地下鉄としては珍しいスポットになっています。
一社駅北舎を西側歩道から見る
一社駅北舎…名東区高社二丁目地内
 地下鉄の駅舎の地上部のみの建物ですから巨大な地下部分の構築物に比べ小さな建物が建っているのが見えているだけの駅です。地下鉄東山線の駅で駅番号はH19となっており、駅開業は昭和44年(1969年)4月1日です。一つ東隣は上社駅で、一つ西隣は星ヶ丘駅となっています。一日の乗車客は13000〜14000人くらい(降車客は含まず)で推移しています。この駅にはコンコースがなくホームから改札口へ直結しているのが特徴となっています。南駅舎にはバスターミナルが設けられていますのでバスの乗降口があります。また北改札口・南改札口とはホームと線路の下を潜る通路で繋がっています。かなり地下深い通路で繋がっているので地上で横断歩道を渡った方が楽です。

建築業界見晴台…「混沌とする建築業界と景気」  2014年6月27日(金)

 4月以降の身近な物価を見ているとひどい便乗値上が横行しています。3月までは国の方針で5%税込価格表示でした。たとえば税込値段1000円の内訳が価格953円/消費税5%で47円でしたので消費税率を8%に変えると改定価格は税込1029円です。これが暫定的に税抜き表示が許可されたので税抜き価格1000円とすると消費税80円で売値1080円となるので、差し引き51円が便乗値上分です。「1000円の値札」…“前と変わらず嬉しい”と思いきやこんな子供だましの便乗値上が増えてしまいました。
 消費税率引き上げのためのインフレ目標設定のもと昨年から行われている政策ですが、この実行のため様々な弊害が起きています。消費者の生活を無視した輸出型製造業の加護のための円安誘導により、輸入材に頼る国内諸物価がこの一年間でかなり上昇しました。便乗値上だけでなく、この影響で消費者物価指数が実質かなり上がってきました。輸出型製造業は潤っているかもしれませんが、年金生活者や一般庶民の暮らしぶりはかなり厳しくなっています。一体誰の為の政治なのですか?
 建築業界はいまだに職人不足・下請会社減少と言う理由で建築工事費が高止まりしています。消費税駆込み需要はほぼ一巡したようですが、いまだ情勢の変化が現れてきません。建築工事費上昇は消費税増税の便乗値上とは異質な問題です。長年の建設需要の低迷と若年労働者の勤労意欲の薄れとで建設労働者が大幅減少してきた中、東北震災復興工事で建設需要が増えている最中のところへ急な消費税増税による駆込み需要・景気指数維持のための公共工事発注等で消化不良が起きています。
 年金が削減され一般庶民の可処分所得が減少する中、国内消費の落込みが持ち直すと言うシナリオには論理的根拠がありません。値上がりと消費税増税で同じお金で買えるものが減っています。統計で言っている数字は金額のみの話で実質的購入内容の落込みが分かっていません。建築工事費が急に上がった影響で建築を取り止めた人が昨年以降多いと聞いています。巷ではこの先の建築工事の受注が冷え込んでいる様子が聞こえてきます。これから先どうなるのか全く予断を許さぬ状況です。

久里屋設計界隈散策−その59 上社ジャンクション    2014年6月13日(金)

上社JCTを西方より見る
上社JCT…名東区上社四丁目地内
 ラジオの交通情報等でおなじみの上社ジャンクション(JCT)は、当社より南南東へ約2.2km離れたところに位置し名東区上社四丁目地内にあります。国道302号線と県道60号線(名古屋長久手線/東山線)の交差部分にあり、南北に名二環道(東名阪自動車道)が載っていてその名二環道の上下線から東名高速道名古屋インターチェンジ(IC)に繋がるランプ(曲線道路)が四本あります。大きな立体交差の道路ですからかなり離れたところからも見ることができます。東は長久手方面、西は名古屋市市街地方面、北は守山区・春日井市方面、南は高針JCT方面に通じています。
上社JCT空中部分を歩道橋より見る
上社JCT…空中部分
 この立体交差点の四方には歩行者用横断橋が交差点を囲い込むようにめぐらされており、この横断橋から見える景色がこの写真です。大きな交差点なので横断橋の歩行距離は長くて歩いて渡るにも意外に時間がかかります。この写真の中央部分から左方へ見えるのは302号線の上を横断する県道60号線です。右手の方が名古屋IC方面、左手のほうが名古屋市市街地方面です。上方から左方へ走っているのは名二環下り線から東名高速名古屋ICへ通じる道、上方から右方へ伸びているのは名二環道本線で、右手が高針JCT方面/左手が守山区・春日井市方面になっています。

久里屋設計界隈散策−その58 素盞男社        2014年5月30日(金)

西側より境内入口を見る
素盞男社…千種区松軒一丁目地内
 素盞男社(スサノオシャ)は当社から西へ4.8kmくらい離れた千種区松軒一丁目地内に位置しており、市立大和小学校のすぐ西側でかつ大和公園の北側にあり公園からよく見渡せます。全国各地にある素盞男(須佐之男)神社の一つで、藪天王とも呼ばれているそうです。基幹バスが走っている県道田籾名古屋線の古出来町の交差点からは徒歩7分くらいの場所に建っています。また徳川美術館から南東へ1.15kmくらいの距離です。
拝殿・神殿を斜めより見る
拝殿・神殿…木造神明造り
 西側道路に面する鳥居から境内に入り東奥の突き当りに神殿があります。また参詣通路に平行するように社務所が作られています。木造のお社ですが狭い境内いっぱいに建物が建っています。また南道路側には幟がたくさん立てられています。一方通行の南道路を介して解放空間である大和公園がありますので窮屈な感じは緩和されあまり気になりません。築年数は定かではありませんが、かなり年数が経っている感じの建物です。

久里屋設計界隈散策−その57 香流川引山橋     2014年5月16日(金)

香流川南河畔緑道から引山橋を見る
香流川引山橋          ……名東区香流三丁目地内
 引山橋は当社から東々北へ約800m離れたところに位置し、香流三丁目・香南一丁目・引山一丁目・引山二丁目の境目にあります。引山橋は複雑な立体交差の橋となっていますが、一番上を渡っている橋は交通量の多い国道302号線です。その両脇に香流川を渡る生活道をつなぐ引山橋が二つ架かっています。その二つの引山橋の下を香流川が流れ、さらにその下の地下部分を名古屋第二環状自動車道(名二環)がトンネルの中を走っています。西橋は香流三丁目地内にあり車のみ北行きの一方通行、東橋は香南一丁目地内にありやはり車のみ南行きの一方通行となっています。人は東西二つの橋とも南北往来自由となっています。
東側から引山橋内部を見通す
香流三丁目より見る引山橋
 もともと昔から香流川が流れているところに、これらの橋が集中したのですからこのように複雑な造りになるのは必然でしょう。さらに、この立体交差部分で下水が香流川へ合流していますので見る人にとっては一層複雑に感じるスポットなのです。すぐ東側には県営猪子石住宅、また西北には市立引山小学校があります。この香流川の両岸には桜並木のある緑道が続いていますので、春にはこの緑道で桜が満開となり花見散策をする人達で賑わいます。眼下の香流川には大きな鯉や亀が悠々と泳いでいます。この静かな緑道を散策していると、まさかこの真下を交通量の多い名二環のトンネルがあるとはとても思えません。 

久里屋設計界隈散策−その56 長養寺           2014年5月2日(金)

左手に天満幼稚園、右手に長養寺
長養寺…千種区天満通二丁目地内
 長養寺は当社よりほぼ西へ3.3kmくらい離れたところにあり、先にご紹介した上野天満宮のすぐ西側に位置している県道関田名古屋線沿い西側にあります。市バス天満通一丁目のバス停から徒歩1分とたいへん便利なところにあります。谷口交差点から南へ220mくらいにありレストランデニーズの真向かいですからとても分かり易い場所です。山門があまりに大通りに直接面しているので歴史ある古刹がすぐ眼前にあるとはなかなか気付きません。南に天満幼稚園が接して建っていますので多分お寺が経営している幼稚園だと思われます。別名観音院とも呼ばれているそうですが檀家を持たない天台宗のお寺だそうです。
バス通から見える長養寺山門
山門…県道関田名古屋線に面する
 最初は大幸村の南にあり昔は大刹で常善坊と呼ばれていたそうですが、度々兵火に会い記録類が焼失したため、開基その他の歴史が不詳となってしまっているとのことです。ご本尊は運慶作と伝えられる十一面観世音菩薩です。室町時代の永禄5年(1562年)に祐順法師により再建され中興の開山となりましたが、その後慶長7年(1602年)に現在地に移ったそうです。このお寺には小さな雛壇上の台座に木釘留にされた円空仏(不動三尊)があるとのこと。また境内には名古屋城築城の折、尾張藩の発展と城の鎮護安全を祈願し、城の四方に置いた石の一つと言われる青竜石と呼ばれる長さ90cm幅60cm余りの平石があります。

久里屋設計設計界隈散策−その55 愛宕神社     2014年4月18日(金)

東側から鳥居を潜る
愛宕神社…千種区北千種二丁目地内
 愛宕神社は愛宕公園の一角に建立されており、当社からは西へ4kmくらいのところに位置しています。先にご紹介した永弘院山門前の道路をまっすぐ西へ行ってからバス通りを渡ってしばらく行ったちょうど突き当りにあります。また神社の裏側(西側)には名古屋市立大学北千種キャンパスの敷地が拡がっています。北側には巨大なナゴヤドームの丸い屋根がすぐ近くに見えています。県道田籾名古屋線(出来町通)のすぐ南へ入ったところで、基幹バス2号線の萱場バス停から徒歩2分くらいの便利なところにあります。小さな境内なので駐車場がありませんから、お参りに行かれるなら公共交通がよいでしょう。
鳥居から短い距離に本殿がある
愛宕神社本殿…南公園より見る
 愛宕神社は上野城主下方貞清が1556年(弘治2年)に創建したものと伝えられていますが、現在の神社は鉄筋コンクリートで作られています。境内にある説明書きによれば御祭神は稚産霊命(ワカムスビノミコト)と伊邪那美尊(イザナミノミコト)であるとのことで京都の愛宕神社と同じ神様をお祀りしているのだそうです。そもそも江戸時代中期に尾張藩の火薬庫をお守りするために火の神様としてこの地に建立されたのだそうです。鎮火・防火や雷から身を護る神様として広く信仰され続けているそうです。また先にご紹介した上野天満宮の末社の一つでもあります。例大祭は毎年11月24日と決められています。

久里屋設計界隈散策−その54 永弘院          2014年4月4日(金)

永弘院山門…千種区上野一丁目地内
 永弘院は当社から西へ3.7km離れた千種区上野一丁目地内に位置しており、谷口のバス停から100mくらい南へ下がったところにあります。境内にはこの辺にあった上野城跡の石碑が立っています。天文7年(1538年)に上野城主下方貞清がその居城である上野城の一角に、義雲祖嚴禅師を開山と創建したものです。山号を上野山と称し本尊は薬師如来で臨済宗妙心寺派の寺院です。下方貞清が武運長久と一族の安穏を祈願していた勝軍地蔵菩薩も祀られています。本来“ようこういん”と読むのが正しいようですが世間では通称“えいこういん”と呼ばれています。永弘院と言う寺名はお寺の開基である下方左近貞清の戒名“永弘院心源浄廣居士”に由来しているそうです。
永弘院本堂…山門を潜り斜め正面
 山門を潜るとすぐ右手に上野城跡の石碑があります。昭和20年5月14日名古屋大空襲により山門や鐘楼を残して諸堂宇を消失しましたが、熱心な信仰に支えられ本堂・納骨堂・庫裡・地蔵堂等が逐次再建・新築され今日に見る伽藍となったそうです。開基である下方左近貞清は大永7年(1527年)に上野城で誕生し幼名は弥三郎と呼ばれていました。15歳の若さで上野城主となり織田家へ4500貫で仕えました。織田信秀に随身した天文8年(1539年)以降、織田家の家臣として戦場を駆け巡り幾度となく一番槍をあげました。槍の名手として知られ天文11年(1542年)岡崎・小豆坂の戦い/天文21年(1552年)萱津の戦い/元亀元年(1570年)姉川の戦い等で活躍したそうです。

建築業界見晴台…「どうなる今年の建築業界」      2014年3月21日(金)

 しばらくブログを書いていませんでしたが、此の度ようやく再開できることになりました。実は私事になりますが今年に入ってから病に掛かり二か月半程の入院を余儀なくされ、病室のベッドの上で生活しておりました関係でブログを書くことができませんでした。病院関係者・家族の支えや友人・知人の励ましのお蔭で本日無事に退院することができ今年初めてのブログをやっと始められます。皆様本当に有難うございました。皆様も健康にはくれぐれもご留意されますよう祈念いたします。
 さて入院している間にはや4月になろうとしています。巷から聞く情報では、政府の政策により加熱した建設費が一向に鎮静せず建設受注にいまだに悪影響を及ぼし続けているようです。消費税の駆け込み受注の影響がまだ尾を引いているようです。しかしこの先建設業のみならず他産業も駆け込み需要の反動による落ち込みが待ち構えているのは、経験則から言っても火を見るより明らかです。国民(消費者)は過去に学習済みなので、半年ほどで回復基調に戻るなんて話は誰も信じていません。
 建設業に限って考えれば過去の悪夢が鮮やかに蘇ります。以前の消費税増税の駆け込み需要の反動による建設需要の低迷は記憶に新しくまた長く深刻なものでした。産業空洞化かつ少子高齢者時代で非正規雇用が労働者の4割にも達する経済環境で30〜40年前の右肩上がりの高度経済成長時代と同じような経済手法が通用するとも思えず、消費税増税と円安誘導をベースにした今回の短絡的なデフレ脱出計画に対しては国民(消費者)は誰しもかなりの違和感・警戒感を持って冷めた目で見ています。 
 円安誘導での生産を高めれば雇用・生産が活性化し国内が潤うと言う話には国民は皆絶句しています。輸出型製造業は既にグローバル化を終えているからです。先の新聞記事にありましたが輸出型製造業の好調が意外に雇用・生産の面では国内的に良い影響が少ないと言うのを読みましたが言わずもがなと思います。GDPに大きな影響を与えているのがその約6割を占める国内消費であることからすれば日本の今回の円安誘導/消費税増税政策は果たして如何なものか?と考え込んでしまいます。

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