ブログ−2010年
久里屋設計界隈散策−その3 和示良神社
2010-08-27
当社より北北西へ約650mの位置にあり、基幹バスが走っている出来町通りからすぐ北へ入った所にあります。和示良は“かにら”と呼びます。由緒書きによれば、この地に居を構えていた武内宿禰(たけのうちすくね)の子孫が安土桃山時代の文禄2年(1592年)に創建したとされています。当時この地は豊臣秀吉の朝鮮出兵等の際の交通の要所として栄えており、宿禰の子孫が安全祈願のためお社を建立し武内宿禰を祀ったとのこと。創建時、記念に植えられた栃の木が幹周り3m程の大木に成長し明治の初めまで学問・長寿・五穀豊穣・繁栄のご利益があると信じられ「原の天神様」と呼ばれ近在の人々から親しまれていたが、伊勢湾台風で倒れ平成始めの頃まで廃木として残っていたがいつしか姿を消したとのこと。
春日井市上条町にも和爾良神社(かにらじんじゃ)と言うのがありますが、こちらは『延喜式神名帳』にも載っている由緒のある神社です。元々は春日井市朝宮町にある朝宮神社がその神社であり、上条城主の小坂光善により建保6年(1218年)に上条町の今の地に移されてきて和爾良白山神社として祀られているとのこと。こちらの和示良神社とどのような関係があるのかは不明のようです。この和示良神社は昔から猪子石原の氏神様として崇敬されてきました。明治41年に、西ノ切にあった木花開耶姫命(このはなのさくやびめのみこと)を祀る浅間神社と欠下にあった大山祗命(おおやまよろずみのみこと)を祀る山ノ神社を合祀して村社にしたとのこと。なお境内にある建物は殆どが平成に入ってから建立されたものです。